「よりよい暮らし」を提案する事が、最近さまざまなメディアで流行っているような気がします。
もっと言えば、あらゆる商品名に「プレミアム」を冠する物が増えたような気がします。


例えば、朝食。
表参道に面した、ハワイ風の1000円以上するプレミアムなパンケーキを食べる為に、朝早くから化粧をばっちりして、3時間も並んで、昼頃に食べる。


例えば、雑貨。
自宅でプレミアムな入浴剤の風呂に入って、行った事も無い温泉を語る。

上記のような体験は、あくまで大衆のあこがれ、いわゆる「理想の暮らし」であるバーチャルなセレブ体験を味わう為に消化される事が多い気がします。
ここでいう「よりよい暮らし」は多くの人が思う希少価値が高い物に触れる事によって得る優越感を示した「“人”よりよい暮らし」としての意味で使用されているように感じます。



日本では「芸術」にふれる事に関しても、残念ながら上記と同じような考え方を持っていらっしゃる方が多い気がします。

例えば、

普段、「お芸術」とは縁のない一般人が、わざわざ美術館にいく。
そして、メディアで紹介されていた何かちょっと良い物を見る。
その美術館に行くという行為が、

「○○サンとこの、お嬢ちゃん。趣味は美術館巡りですって。イイワネー。」
「大人のデートは美術館で決まり!」

などというような、「ヤッカミ」や「ステータス」を含んだような表現をされる。
そして、作品そのものに対して論するという事はもちろんありません。

こういう会話で成り立つコミュニティは、常に「比べる」という行為に置いてのみ価値観を作り出しています。
いわゆる、対人関係の「カースト」を意識する為に「美術館に行く」というポイントを稼ぐというような、残念な事が起きている訳です。
「芸術」とは本来、そんなしがらみからほど遠い、もっと自由な物だと思うのです。


今までインタビューしてきた芸術家の方々が、おおむね口を揃えて言う事の一つとして、

「作品に対する解釈については、結局見る人の自由で良い。」

絵をみて、評論家の言う通りに作品を見るのではもったいない。
解釈が一人歩きするのが芸術の良い所だ。

と語ります。


貨幣経済の現代社会でくらす我々にとって、常に「結果」や「答え」はつきものです。

そんな私達に対して、芸術は「息抜き」が出来る場所であると思うのです。
作品の前では、「他人との比較」から抜け出す事ができる。それを許してもらえるのです。
自分の解釈は自分だけの物にしてもいい。


「芸術」とは「自由」であるからこそ、その価値があるのだと思います。

だから、昨今の「プレミアム」文化にちょっと辟易した方々は、頭を空っぽにして美術館に言ってのんびりする事をお勧めします。
構えていく必要は無いんです。日常から離れられそうな面白そうな空間があるから行く。それで十分です。

人が提示する価値観とは別に、自分の内側から来る新しい価値が見つけることができるかもしれません。

oasis_sk

『ARTYOURS』のウェブ担当。
現在は、制作会社のデザイン課長。


大学ではスケボーをしながら表千家茶の湯同好会に所属。さらに学芸員の資格を取得するというやりたい事はとりあえずやってみる主義。

暴暴茶というカンフーみたいな名前のお茶が最近お気に入りです。