年に一度の「さくら」。

今年も咲き始めました。

というより、この文を書いている私の周りではすっかり桜は満開で、春爛漫といった雰囲気です。

日本ではこの桜が咲き始める頃から全体的にフワフワと「気持ちの高揚」を感じる事ができます。

とくに「花見」ではそれが顕著にでるようで、公衆の面前で、「飲んだり」「踊ったり」「ねころがったり」と
それはまさしく「無礼講」という事であります。

かくいう私も、先週末、嫁と一緒に桜で有名な河川添いを缶ビールを片手に花見をしにいったわけですが、その時に彼女が言ったことが、

「花見をこの季節にぶつけたのは大正解だとおもう。4月って人が入れ替わったりいろいろ身の回りの変化があって精神的にも不安になるけど、浮かれることでごまかせるしね。」

この意見を聞いたときに、「なるほど」とおもいました。
集団意識が強く自己主張が弱い日本人が桜の下で集ってみんなで浮かれる事で、その不安を薄めている。
それはある種のメンタルケアであり、この季節しかできない事であります。

一つ気になったのは、なぜ「さくら」という花が選ばれたのか。

それは桜の「色」とその「儚さ」にあると思います。

桜の花は薄いピンクの色をしています。
心理学的にみるとピンクは人間のホルモンの分泌を調整するような働きもあるらしく幸福感を与えるような効果があるそうです。
また同時に「現実逃避」を引き起こすような事もあるらしく、困難な出来事から目を背けたくなるような気持ちになるそうです。

桜はあっという間に咲いて、あっという間に散りますから、この幸福感と夢見心地にさせてくれる時期を「儚い」と文字通り感じるのも本当に理にかなっていますね。

日本人はこの「儚い」という物に美徳を感じやすいのだとおもいます。

夏になれば、「線香花火」。
秋がくれば「つるべおとし」。
冬がくれば「年忘れ」。

これらの儚い物達は、時代はかわってもずっと永く愛されて残り続ける。

この相反する感情を同時に持った時に、人間は特別な美しさを感じるのかもしれません。

oasis_sk

『ARTYOURS』のウェブ担当。
現在は、制作会社のデザイン課長。


大学ではスケボーをしながら表千家茶の湯同好会に所属。さらに学芸員の資格を取得するというやりたい事はとりあえずやってみる主義。