先日、NHKで「信州上高地」の美しさについての特集がニュースで流れていました。

それを見て、私は「この美しい景色の場所へ行ってみたい。」とおもったのですが、ここで一つの疑問が浮かんだのです。

「いつから自然を楽しむような場所に行きたくなったのだろう?」と。

本当の“ど田舎育ち“の子供の頃は間違っても景色を楽しむようなところへ親に連れて行ってほしいなんて事は頼もうとおもっていませんでしたし、むしろそういうところへ行くと言われると「嫌だなぁ。」なんて事もかんがえていました。

それよりも、コンビニだったり、近所のデパートだったり、遊園地や動物園。
そういうたぐいのところに行きたかったはずなのに….

いまや興味の矛先は「信州上高地」。

この心境の変化やいかに。

その理由を考えたときに一番大きいのは「人間への慣れ」だと思うのです。

人間は、生まれ落ちてからずっと誰かの影響を受けて育ちます。

言葉にはじまり、食事や勉学、コミュニケーションの仕方まで、「こども」は人に成るために「人間の造ったもの」のものをどんどん取り入れていきます。

いわゆる「おとな」へ憧れるのもこの頃であり、より「人が認める大人」に成ろうとがんばります。

ただ、いざ成長して「おとな」になるとその憧れが落ち着いてきます。
なぜなら、「おとな」が完全な人間でないことに薄々気づいてくるからです。

人間が作る物には害もあるし、欠陥がある事もわかってきます。
また「金」という名の利益の取り合いをしていることもだんだん感じるようになります。

人間に疲弊し違和感を持ったときに、その手を離れて毎年微妙な変化を見せる「自然」に面白みを感じるようになるのではないでしょうか。

人間が造れない自然のテクスチャーや匂いに興味を持ち始める。
またその予測不可能な曖昧さや儚さ、雄大さに「美しさ」を感じる。

それこそが「花鳥風月」であり、風流を感じる事なのかもしれません。

逆説的な言い方をすれば、最近の子供が「こどもっぽくない」のは大人が「おとなっぽくない」せいでもあると思うのです。


oasis_sk

『ARTYOURS』のウェブ担当。
現在は、制作会社のデザイン課長。


大学ではスケボーをしながら表千家茶の湯同好会に所属。さらに学芸員の資格を取得するというやりたい事はとりあえずやってみる主義。

生サムギョプサルなるものが気になります。