「絵の具なんて当時は高級な物でしたから、それはもう僕は大事にしました。」

今、藝術を志す人の中にこういう事を言える人が何人いるのでしょうか。

それは、学生時代に先生の兄が出兵するのに立ち会い、またその後の貧しい日本、そして思想の自由に突き進む時代を経験しているからこそ言える一言なのです。

調布の東京アートミュージアムにて開かれていた掛井五郎展。
83歳を超える年齢で現役のアーティストとして活躍しています。

氏の人生の中で幾度となく訪れる出会い、そして別れ、旅立ち。

まさにその人生模様が一つの作品であり、歴史であり、戦後の日本の物語であるような印象を受けました。

昨今の現代アートに求められがちな「コンセプトアート」は、「能書き」のようはものに成っているのではないか、という感覚を掛井さんの作品の前では感じます。

経験の積み重ねこそが一つの作品につながるという事。
そしてそれが作品に「想いを込める」ことへの手段であるという事。

人が集まるような作品というのはそうやってできているのかもしれません。

そんな印象を受けた掛井五郎さんにお話を伺ってきました。

掛井五郎

1930 静岡市音羽町に生まれる
1953 東京藝術大学彫刻科卒業
1957 第21回新制作展「受胎告知」を初出品、新作家賞
1965 第8回サンパウロ・ビエンナーレ「アダムとイブ」を出品
1968 ベラクル大学(メキシコ)客員教授 ~1970
1976 「バンザイ・ヒル」第7回中原悌二郎賞
1981 「蝶」第2回高村光太郎大賞展優秀賞
1992 「立つ」第23回中原悌二郎賞
1993 「掛井五郎版画作品集」出版
1996 青山学院女子短期大学退職
2001 新制作協会脱会
2009 「AT WORK KAKEI 掛井五郎作品集」出版

僕に知らない世界、いわば「新天地」を教えてくれた。

ーー東京藝術大学を卒業されてらっしゃるのですが、藝術に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。

掛井 私はもともと、藝術とはほど遠い静岡でも自然が豊な場所出身だったものですから「藝術」というものを見る事すら無かった訳です。

ただ、その和かさが良かったっていうか。

私の育った環境は山をみれば富士も望めるし、駿河湾を見ればおいしい魚なんかもいて自然が豊かでした。

遊びの種類も、川で一日中鮎を追い掛けまわしたり、ドジョウをすくったり、自然に遊んでもらったようなもんだったんですよ。

非常にその当時の子供にとってはうれしい遊びをして育った訳です。

今の子供達なんかはインターネットなんかで遊ぶってことかもしれないですが、僕らはそういう時代じゃないので自分で体を使って遊びを産むというような事をやっていたんですね。

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その後、戦争が始まって、非常に大きな時代の変化があったんです。

戦争時は学校に通っていたのですが、勉強よりも時代の流れの方が記憶に残っていますよ。

うちの兄は三井物産につとめて英語を駆使して大変良く働いていたんですが、紙一枚で戦争に行く事になり、ニューギニアで戦死してしまったんです。

その亡くなった兄の送られてきた遺品の中に、なんと、フランス製の絵の具箱が入っていたんです。

絵の具なんて当時は高級な物でしたから、それはもう僕は大事にしました。

絵を描くのも元々好きでしたから、段ボールやらベニヤにいろいろと描いたもんです。

その当時、学校では戦争に行ってしまった絵の(森正一)先生の代わりに斎藤真一というゆくゆくは藝術で有名になる人が上野の師範学校を卒業して赴任してきまして、絵の具で絵を描く僕の事を大変かわいがってくれたんです。

下宿先にも、彼の部屋にある画集を見によく遊びにいったもんです。

僕に知らない世界、いわば「新天地」を教えてくれた。

そういうこともあって、その師範先生の行っていた上野の東京藝術大学に通おうって思ったのです。

人間の「縁」でしょうね。

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ーーそれでは、なぜ彫刻科を希望されたのでしょうか。

掛井 それは人間の「縁」でしょうね。

もう一人の兄貴が戦争が終わって東京に就職したんですが、その当時の東京は食うや食わずやの時代ですから。僕が静岡の実家からお米をしょって東京に持っていく訳です。

その当時の東京の絵描き達は、今まで禁止されていた西洋画や裸の絵なんかも解禁されて活気がありました。ギャラリーもにぎわっていましたよ。

その中の上野の展覧会で出会った木内克先生の彫刻の作品にであって衝撃を受けたんです。女の裸を見たのはなんせ、その時が初めてでしたから。

その時にたまたまお会いした木内先生本人に彫刻家に成りたいという事を伝えると、山本豊市という藝大の彫刻家の先生を紹介してもらったんですよね。

その後も家に招いて頂いたり作品を見せたり色々とご師事を頂いて、藝大の彫刻科に入学できたのです。

一回で受からなかったらどうしようと内心ヒヤヒヤしてましたけどね。

出会った経験の中で造る。

ーー様々な作品を造られている中で、普遍的なコンセプトはありますか?

掛井 出会った経験の中で造るということですかね。

もともと僕は卒業後はフランスのエコール・デ・ボザールに行きたかったんですが最後の面接で落ちてしまった。

その後、先生の推薦でサンパウロ・ビエンナーレに作品を出展しまして、しばらくして、メキシコのベラクルス大学の客員教授に成ったんですね。

ーー西洋だけでなく、南米や、もちろん日本の文化など、先生の中にあるいろいろな経験が自分の作品を生み出しているんですね。

掛井 そうですね。それが大きかったですね。民族的であり文化的なものが僕の作品を形作っていますね。

ーー数ある作品の中で、ぜひ、この作品は見ていただきたいという作品はありますか。

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いくつかあるんですが、

静岡の市民文化会館にある「南アルプス」という作品。

札幌芸術の森ー野外美術館にある「ベエが行く」という作品。

後は、仙台の仙台市農業園芸センターにある「道香」って言う彫刻は、本当に見てほしい。

今回の(2011/3/11の)津波の後に潮をかぶってでも残った作品。

僕の友人の亡くなった子供を昇天させる思いを込めた像なんですが、もうとにかく見てもらいたい。

会場の中にあるという作品よりも作品の周りで子供たちがよろこんだりね、走り回れるようなそういうものがいいとおもってますね。

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ーーインターネットについてどのようにお考えでしょうか。

掛井 いやー、全くわかんないですね(笑)

そこらへんは息子に聞いてください。

作品が必ずしも美術館にある必要っていうのはないんですよ。

ーー最後に掛井さんにとってアートとはどのようなものでしょうか。

掛井 僕は藝術っていうのは広げていくというよりも、ゆっくりで進むようなもので良いと思うんですよ。

申し訳ないんですがインターネットなんかで、バーッと広げるような物じゃないっておもってるんですよね。

後は、お金で買うような物ではなく、もっと世の中のいろんなところにあって人が集まるような物。

例えば、作品が必ずしも美術館にある必要はないんですよ。どこにあってもいいとおもいます。

そういうのが藝術だとおもいますね。

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今回のキーワードは、「道香」です。

それでは、またお会いしましょう。

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