先日、大阪のなんばグランド花月にて落語家「桂三枝」改め「桂文枝」の公演を拝見しました。
そうです。新婚さん「いらっしゃ〜い。」のあの方です。

師匠の小気味の良い話しは「大阪」の文化に対する愛にあふれていました。
特に全国で行われている小学生の学力テストの偏差値ランキングについてのお話、これは実に興味深いものがありました。


2013年の結果では、「秋田」の小学生の偏差値が一番。

そして、文枝の愛する「大阪」の小学生はというと、下から二番目という事。
ただ、それは点数だけを見てそういっているのであって本当はそんな事は無いのです。

学力テストの小学6年生の国語の問題に、

問「いかにも」という単語を使って文章をつくりなさい。

という問題がありました。

それを見た大阪の少年の答えは、

答「いかにも、たこにも吸盤がある。」

そんな答えを書いた少年に対して先生は、そういうことじゃなくて、「いかにも、強そうだ。」とか「いかにも、おいしそうだ」みたいな事を書かなければダメだろう。と注意した。

それに対して少年は、

「そんなんわかっとる。ただ、そんな答えばっかりやったら先生、飽きるやろ。」

と、あっけらかんと答えたというのです。

そのサービス精神の大きさは本当に「文化」だなぁ。と思わざるを得ません。


一時期施行された「ゆとり教育」の時には教科書の厚さが薄くなり、授業数もへって、子供のやりたい事をやらせようという風潮がありました。
どうも評判は良くなかったみたいで、「子供の学力低下を引き起こす」というようなニュースが連日流れ、ネット上では、「ゆとり」イコール「「精神的に稚拙な人」を指す蔑称として扱われるなど、なんとも良くないイメージがあったようです。


ただ本当の意味での「ゆとり」を教えるというのは精神的な余裕を身につける素養なのではないかと思うのです。
それは競争や優劣を超えた、目の前の人を笑顔にさせるという「発想」そして「人間力」。

学校の「右へならえ」の教育では身につけることができない、もっと人生を楽しむための方法を考えるための時間を誰かが教える必要がそこにあったはずです。

そして現在、結局「偏差値」という所での優劣の付け方に戻ってきた日本の教育。
どうもこの国の教育には「人間の個性」をないがしろにしている風潮があるような気がして成りません。


もっと「発想豊か」な子供を増やすためにも、もっとたくさんの価値観を大人だって持つ必要があると思うのです。
ところで、なんで関西ってあんなに人を笑かそうとする人が多いんでしょうかね。
今度、じっくり調べてみようかと思います。

oasis_sk

『ARTYOURS』のウェブ担当。
現在は、制作会社のデザイン課長。


大学ではスケボーをしながら表千家茶の湯同好会に所属。さらに学芸員の資格を取得するというやりたい事はとりあえずやってみる主義。

生サムギョプサルなるものが気になります。