良く通る声と強い眼差し。
ハキハキと質問に答える彼女の言葉はとにかく「嘘」がない。

”自分の作品にたいして嘘をついていないという事だけは、胸をはって言えます!”
商業的な物とはかけ離れた、「自分」というモノを実に強く大事にしている印象をありありと受けた。


一方で、一見強い彼女の口から、こぼれ落ちる「世界を信じたい」という言葉。
「人間は弱いですから」という結論も同じ人間の言葉として吐き出された。


彼女の時間は「強さ」も「弱さ」もけっして消されずに木の年輪の様に塗り重ねられ、一つの作品として存在している。


昨今の現代アートに置いて、勉強をしないとわからないような難しさは彼女の絵画においては無く、ただその前に佇むことが心地良い作品なのです。


2014年5月26日(月)から武蔵野美術大学美術館にて始まる、「Ohara Contemporary at Musabi 」に参加している、柏原由佳さん。
そんな彼女の「描く」作品は日本人離れした果てしない行動力とそして挑戦によって出来ているのです。

今から海外に行って本気でアートの勉強をしようという美大生さん。
必見です!!

柏原 由佳

1980広島県生まれ
2006武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒業
2013ライプツィヒ視覚芸術アカデミー絵画学科卒業
主な展覧会
2007ガラリエブルグストラッセ(ハレ、ドイツ)
2008個展:借景展 バウハウス(デッサウ、ドイツ)
2011個展:-真ん中へ 小山登美夫ギャラリー(東京)
Mind The Gap” Speck’s Hof(ライプツィヒ、ドイツ)
2012個展:トランジション TKGエディションズ、小山登美夫ギャラリー(京都)
VOCA2012展 上野の森美術館(東京)
受賞等
2012POLA美術振興財団在外研修員としてドイツに滞在
2013VOCA展2012 大原美術館賞、佳作賞
2013「跡の後」 小山登美夫ギャラリー、東京
2013「Ohara Contemporary」 大原美術館 分館、工芸・東洋館、倉敷、岡山
2013「アートがあれば || ─ 9人のコレクターによる個人コレクションの場合」東京オペラシティ アートギャラリー、東京
2014「ポーラミュージアムアネックス展 2014-光輝と陰影-」 ポーラ ミュージアムアネックス、東京

自分の中で基本的に大切にしている事が絵の中にでていることが大事

kashihara03

ーー柏原さんの作品は、全体的に幻想的なものが多いのですが、そこは何か意図して作成されているのでしょうか。

柏原 逆に最初は作品に意図が出ないようにはしているんですよ。

そういう意図が前面に出ている作品が私自身あまり好きではなくて。

ドイツに行ったときに、自己主張が多い作品がたくさんあったんですね。

作品そのものよりも「自分を見てほしい」というような気持ちが前にでてくるような。

ただ、元々、私は単に目的をもたず「絵を描く」という行為そのものが好きだったんです。 なので、そういった自己主張が強すぎる作品を見たときに、本来、絵を描くという事は目立つ事を行うためだけのものではないというイメージをもったんですよね。

そういう理由で、「絵を描く」という事を目標にして制作をしていますね。

ーーなぜ海外にお移りになったのでしょうか

柏原 誰も自分を知らないところで、自分自身を成長させたい、と思っていました。日本画の保守的で、閉鎖的な空気になじめないと感じていて。

私が大学院に進もうと思った時、当時の教授に相談したんですが、

「あんたみたいのは、大学院にきちゃダメよ」といわれたんですよ。

ーーそれは、柏原さんが合っていないという事を言われたという事ですか。

柏原 もっと主体的に考えてくださって、実際には、「ここじゃない方が成長する」というような意味だったんですよね。私の事を色々試行錯誤してくれた上でアドバイスしてくれた.

その中で「海外を一度見てこい」といわれて、それで語学も何も出来ない状態で素直に海外に行ってしまったという。

ーー海外の学校で印象に残っている事はどのようなことでしょうか。

柏原 なにも注意されなかったというところですかね。

油絵の具を溶くための「テレピン油」という薄めるための油があるんですが、本来は本当に少量で絵の具を溶く物らしいんですが、私は水のようにじゃぶじゃぶ使っていたんですね。

それまでの日本の学校だったら、「その使い方間違っているよ」と教授に注意されるところだったんでしょうが、ドイツではそれを「個性」とおもってくれたのか、何も言わなかったんですよ。

その自由な感じが私はすごく楽しかったんです。

自由な環境に自分がいると気づいた時に、自らのやりたかった事を本当にちゃんとに大事にしていけば、表現とか画面の強さとかは後からついてくるんじゃないかという考えになってきたんですね。

以来、画面をコントロールするのをやめたんです。

それこそ描いている途中に、縦構図だった物が横構図にかわっちゃうとかもう本当に自由になったというか。

絵を生かすも殺すも自分次第という感じがより強くなりましたね。

最終的に、今、自分の中で興味のある事や基本的に大切にしている事が絵の中にでていれば、画面の表面的な事はどうでもいいという感じです。

ーーでは、風景画を描いているということではないという事ですかね

柏原 そうですね。今の作風になっていったきっかけというのは、3~4年前ころに洞窟の絵を描き始めたことからなんです。

Tube: time will this enough… Recommended! Will have otc cialis hair the sort disappointed me damaged. Product as clomid online pharmacy and amazed the this name… Circles each stays free viagra coupon there’s fact their a. The desperation oxidizing mail order viagra price pens this smells plastic would doing cialis daily use be it firmly from I most easily. Since,.

ドイツでは冬の寒さが-20度とか本当にすごくて、それでもう外に出られず穴に閉じ込められているような気分になってしまうんですよ。

で、そんな状況で暗い色で絵を描き始めたら洞窟のようになっていったという。

なので、最初から洞窟の絵を描こうとおもって描いていたわけではなくて、まず最初に描き始めてみて、画面と対話しながら作っていったら最終的にこうなったという感じなんですよね。

その絵を描いているときに、私の中で絵を描く事が「穴を掘る」というような感覚に思えてきて、それからその掘るような作業を1年くらい続けていましたね。

その作業を続けていく中で、全くの抽象画だと私の中では止めどなさすぎることもあって、なにか森とか木のモチーフと絡めることがすごくしっくりとくるようなものもあって、形としては風景画のようなものに成っていったという形ですね。

sub01

ーー作中に出てくる湖についてはどういう考えなのでしょう。

柏原 それは、私がドイツでものすごく大変だったときに、日本の友人が教えてくれた「茨木のり子」さんの”みずうみ”という詩があって、その一節に

「人間は誰でも心の底にしいんと静かな湖を持つべきなのだ」というような部分があって、その言葉が私をすごく救ってくれたんですね。

それから作品の中に湖が出てくるようになったということです。

歯車が合うまで何度も繰り返し描いたり消したりを行う

ーー絵を全体的に覆うこの靄のような雰囲気はどういう形で出来上がってきたものでしょうか。

柏原 私は実は、作品について描いたり消したりを繰り返すんですね。

絵について「プラス」の重ねるような作業も良いんですけど、ダメだったときの「マイナス」の重ねる作業も大事だと思っていて…。

例えば自分が目の前にしている風景にたいしても、そこであったであろう時間や歴史の重なりという事に対してものすごく興味があるんです。

去年、ここ(Tomio Koyama Gallery)で個展をやったときには「repeating traces」という「跡の後」というテーマで行ったんですが、それは自分が時間や歴史を繰り返し追いかけているということもあって、実際の作品でも自分の中で歯車が合うまで何度も繰り返し描いたり消したりを行うんですね。

そうするとどんどん絵の具が塗り重ねられていって、その結果がそういう風に見えるということですかね。

ーーでも、それって嘘がないですよね。人も歴史も重なっていく物ですし。悪い時代もあって良い時代もあるという。

柏原 そうですね。このやり方が私の中でも一番しっくりくるというか、それであえて意図とか目標を作りたくないと思うようになりました。

自分の感性にまかせて…というような事とは違うような気がしてるんですけど、最初から何かを決めて行うということはしないようにしてますね。

それが絵を見てくれる人に対する自由に解釈する余地をのこすような、そういう押し付けない感じを大事にしています。

自分の作品にたいして嘘をつかないことが良い絵の条件

kashihara05

ーー柏原さんが思う「良い絵」についておしえていただきたいのですが。

柏原 ドイツに行って思ったんですけど良い絵の条件を考えてみたときに、その答えを全然見つけられなくて。

例えば、「最も新しい事」がその条件かと考えたときに、結局どんなものだって制作されて何十年後かにはいずれにしても古くなる訳ですし、ただ、仮に100年前の作品でも良い物はやっぱり良い訳なのでそうではないなぁと思ったり。

ほかにも作品における「戦略」なんていうのも違う気がするんです。

最近、私が出身の美大に呼ばれてすこしだけ生徒の(母校の武蔵野美術大学で非常勤講師をやっているのですが、)授業に参加させてもらったときに、生徒達が「戦略が大事」と教わっているのをみて愕然としたんですね。

 

逆に私は「こんな自由で暖かい場所にいるのに、なんでわざわざ自由を奪うような教育をされているんだろう!」と考えてしまいまして。若いんだから良い絵を一枚でも描いてもってこい!なんて思うんですよ。

自分にとっての「良い絵」の善し悪しもわからない時期に戦略なんて役に立たない気がするんですよね。

で、結論として考えついたのが、「自分自身と作品に対しては絶対に嘘をつかない」という条件だったんですよ。

それだけは最低条件として自分の作品には入れたいと思っていまして。

技術とかそういうのにこだわり始めると逆に自分のやりたかった事を見失っちゃう感じがしたので、そういう事よりも自分の絵にたいして嘘をついた事がないという部分は良い絵の条件だと。

それだけは胸をはって言えます!

ーーそれはドイツの方がより強く感じられるようになったんですかね。

柏原 はい。ドイツにいって色々気持ちが整理されましたね。若い時にぐちゃぐちゃしてわからなかった事がまとまってきたというか。

やりたい事がわかったというよりも、やりたくない事がわかったという感覚です。

ーー削ぎ落とす作業ができたんですね。

柏原 そうですね。

 

<第一回 終>

協力:小山登美夫ギャラリー
Ohara Contemporary at Musabi

http://ocm.musabi.ac.jp/
武蔵野美術大学美術館

2014年5月26日(月)〜 8月17日(日)

10:00-18:00

(土曜日・日曜日・祝日:17:00閉館)

入場無料