私の母親は、本が好きです。

もともと町の図書館で司書をつとめていたため、常に生活の傍らに「本」があるような人でした。

この間、実家に帰ったときに、その母が「ipad」でいろいろな事を調べるのにはまっているらしく、どこに行くにもipadを持ち歩いて画面を指でなぞっていました。

「そんなに持ち歩いているんなら、本もタブレットで読んでるんでしょ?」と訪ねると、

「本は、やっぱり紙をめくって読んだ方がいい気がするのよねぇ。」という答えがかえってきました。

「実物の本って言うのは、読み進めていくうちに、本のページを押さえる方の厚さが薄くなっていく達成感を味わえるじゃない?ああいうのってipadだと味わえないから物足りないのよねぇ。」

その意見に思わずはっとさせられました。

人間というものは「便利さ」よりも、慣れ親しんだ「感覚」を味わいたいという欲求もかなり強く持っているようです。

上記の事は「感覚のツボ」とでも表現すべきでしょうか。

日々生きているなかで、自分だけの塩梅みたいなもの。

例えば、万年筆をノートに当てたときのサラサラ感。

例えば、扇子を片手でバラッと開いたときの伝わる振動。

例えば、小包に入っているプチプチをつぶすときの絶妙な重さとはじける感触。

個人がそれぞれ持っているちょうど良い「感覚のツボ」を表現するということが今後のデザインにとって重要になってくるのではないでしょうか。

例えば、うちの奥さんが使っている「kobo」という電子書籍専用タブレット。その画面の表面を指でなぞると、紙の「ざらっ」とした感触が施されていたことに驚いた覚えがあります。
やっぱり「つるつる」よりは「ざらっ」とした方が本っぽい感じはするんです。

使っている人が既に味わった事がある感覚をどのように表現するか。

「使いやすさ」の意味をさらに考える必要がありそうです。

oasis_sk

『ARTYOURS』のウェブ担当。
現在は、制作会社のデザイン課長。


大学ではスケボーをしながら表千家茶の湯同好会に所属。さらに学芸員の資格を取得するというやりたい事はとりあえずやってみる主義。

最近は毎週末、お祭りで阿波踊りをおどってます。