前回に引き続き、人の「感覚」の話です。

僕は仕事で手帳を使っています。
会社のスケジュール管理や会議室の予約などはPCで行う事が多いのですが、個人の予定に関しては、「手書き」で予定を書き込んでいます。

もともと僕は手書きがそんなに好きではありませんでした。
字が上手かといったらそうでもないですし、手も汚れてしまう。

では、なぜ手帳など使っているのか。ということになるのですが、それは、自分が、文字を書く事を忘れない様にするためです。

PCで文字を打つようになって「変換」という機能がついたのですが、実に便利。
逆にその副作用で僕の頭からは漢字がアンインストールされてしまったようで、最近書類周りの仕事で漢字を書かなければ行けない時、何度も筆が止まってしまうのです。


他にも通勤を電車で行くのをやめて、早起きして走ったりするなど、「カラダの使い方」を忘れないようにしています。

今まで出来ていた事が、楽になりすぎて出来なくなる。
これを繰り返していくと、自分は何も出来なくなってしまうのではないか。
そういう心配がふと出てきたときに、実際にカラダを動かすと、想像していた以上に出来ないんです。
そう、カラダがなまってしまっていて。

このように、人間の生活を「豊か」にするためのモノに頼りすぎてしまい、結果、自分では何も出来ない人間になってしまうという例は、今の世の中本当にたくさんあると思います。

この自分が出来る事が減るという事は、なんか寂しい感じがするのは僕だけでしょうか。
自分の中の「野生」がどんどんなくなっていくというか、自分がなにができるのか分からなくなってしまうのです。

提案されるがまま動く事は、誰かの意図に操られているという事に似ていると思います。

自分の意志でカラダを動かす事を覚えるためにも、たまに、手足を使ってみるのも良いのではないでしょうか。

さらにいうなれば、手と足は反復で同じ動きをする事で脳より先に動く事もあると思うんです。
「感じ」を「覚える」と書いて「感覚」なんですよね。

oasis_sk

『ARTYOURS』のウェブ担当。
現在は、制作会社のデザイン課長。


大学ではスケボーをしながら表千家茶の湯同好会に所属。さらに学芸員の資格を取得するというやりたい事はとりあえずやってみる主義。

最近は毎週末、お祭りで阿波踊りをおどってます。