「美術品というのは、やはり実物を見てもらいたいんですよ。」

と、今までインタビューした美術家のほとんどの人がそういうお考えをお持ちです。
「生」が持つ力に対して、それこそ他のメディアに比べると格別の信頼を寄せているのです。

これに対して、自分が導き出した答えは「美術」は「知識」として頭に入れる物ではなく、その作品がもつ雰囲気を「経験」しなければもったいない。という見方です。

私は、大学の時に、「学芸員」という資格を取得する授業をとっていました。

授業内容はおもに、美術品の取り扱い方から、西洋、東洋の美術史、展示をするためのスケジュールや企画書の書き方など、いわゆる「座学」が多かったのを覚えています。

その時、私は本当にモラトリアムな考え方で大学に行っていましたので、「なんとなくかっこいい資格」をとる事が目的になってしまい、一応、取得はできたのですが、結局、学芸員の仕事にはつかず、その後一般企業に入社しました。

最近、このARTYOURSのお仕事の中で感じているのは、やっぱり資格は資格であって何の役にもたたない事。
「なんとなく美術をやって成功している人はいない」のです。

「自分の好きな事で食べさせてもらっているので。」という考え方は、喰えている美術家が良くいう常套句であり、そういう人は何らかの形で人々に支持されています。

藝術家と呼ばれる人が、「経済」や「政治」からかけ離れているとお考えの人もいると思いますが、それこそとんでもない!
彼らはしっかり世の中の動きを掴んだ上で、自らが製作すべき物を考えています。
手法は違えど、自分が今いるこの世界に対して意見を述べようとしている。

それって、考える事をあきらめずに自分の体験や実感をちゃんと理解しているからだと思うんですよね。
だからこそ、個性が出る。

大学の時に習った、「知識」は、あくまできっかけに過ぎないのであり、それを仕事として人に伝えるためには自分の中で練り上げた「経験」という物がないと、それこそ付け焼き刃になってしまう。

やはり美術に触れるには、実際に脚を運んで、実物を眼で見て、作品とじっくりと対峙した状態で、作者が一体何をこの作品で訴えかけたかったのかを考えてみるという「経験」が非常に大事なんでしょうね。

oasis_sk

『ARTYOURS』のウェブ担当。
現在は、制作会社のデザイン課長。


大学ではスケボーをしながら表千家茶の湯同好会に所属。さらに学芸員の資格を取得するというやりたい事はとりあえずやってみる主義。

お店で日本酒を注がれている瞬間が最近一番の幸せ。