ギャラリーには、不自然な格好のままひざまづく女の子と、後輪を高々と上げて錆び付いたように固まっているキャデラックのラジコン。

のこぎりの刃をガラスに突き立て引っ張った時のようななんともいえない不自然さ。
一方で一つ一つの作品があまりに精巧にできているため思わず見入ってしまうという不思議な空間がそこにはありました。

「子供の頃に、自分が持っている「おもちゃ」の仕組みがどうなっているのか知りたくて分解するみたいなことがあるじゃないですか。

それと同じで、僕は彫刻を作っていても、ただ表面だけを綺麗にして終わりというふうにはならなくて、作品の分解と切断が制作中に入り込んでくるんです。」

と語るのは、ミヅマアートギャラリーで3年振りの個展「tetany」を開催中の森淳一さん。(1月10日まで)。

彫刻という分野において、過剰なまでの繊細さ、そして表現力の高い作品を次々と生み出している作家さんです。

通常、彫刻作品を作る場合は、最初の段階からゴールのイメージを持って彫り出すらしいのですが、森さんの場合は、制作の途中でどんどんと「違う」という気持ちが湧いてきて、それを修正していくという繰り返しによって作品が出来上がっていくのだそうです。

”僕は「違う」とおもったら嫌なんですよね。「違う」と思ったことをそのままにしておけないというか。”

自らの違和感を拭い去るために、限りなく完成に近づけるための未完成をひたすらに続ける森さんにお話を伺ってきました。

森 淳一

彫刻家。1965 長崎県生まれ
1994 東京芸術大学美術学部彫刻科卒業
1996 東京芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了
神奈川県在住

主な個展

2011 「trinitite」ミヅマアートギャラリー、東京
2008 「minawa」void+、東京
2007 「シリーズ.彫刻//新時代vol.1」日本橋高島屋美術画廊X、東京
2005 「shade」エキジビジョン・スペース東京国際フォーラム、東京
1998 ギャラリー山口、東京

作品を作るときには、物事を知りたいからやっているという部分が大きい

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ーーまず最初に「彫刻」という手法に至るまでの経緯をお聞かせ願えればとおもうのですが。

 

 きっかけは高校の時に所属していた美術部でしょうね。ただ、それに所属した理由というのが、僕が入った高校には中学までやっていた水泳部が無かったからなんですよね。

学校からは、「なんでもいいから、どこかの部活に所属しろ。」と言われていましたし、どうしたもんかと両親に相談したところ、たまたま僕の父の教え子が美術部の顧問をやっていると聞いて、入ってみたらどうかと勧められるままに入った。

それまで美術の勉強なんて一切したことなかったのですが、絵を描くこと自体は嫌いではなかったのでそのまま高校時代はずっと所属はしていたんですよね。

そのうち、卒業後の進路を決めなければいけないとなった時に、今度は美術部の先生に

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「美大というものがある」

ということを教えてもらって、その時に初めてそういうものがあると知ったんですよね。

それで、芸大(東京藝術大学)、武蔵野美術大学、多摩美術大学の油絵学科に願書を出したんです。

多摩美の試験を受けている時に気付いたのですが、試験会場に来た僕以外の人は、ちゃんと試験用の絵を教わってきている人しかいなかったんです。

要するにちゃんと美大を受けるための予備校に通っていたんですよ。

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僕一人、試験中にポカーンとなっちゃって。

それくらい美大受験について知らなかったんですよね。(笑)

だから、もうその年は残りの受験を諦めて、その後結局予備校に通い始めたんですよ。

で、いろいろ美術大学に入るための相談をしている時に、油絵学科にくらべると試験突破の倍率が半分くらいになる彫刻科を勧められたんです。

その時は、「彫刻」自体がどんなものか知らなかったんですが、「筆がノミに変わったようなもんだから。」みたいなことを言われて、じゃぁやってみるか。くらいの感じで始めたんです。

こんな感じで、もともと美術自体に能動的にやりたいって行動した結果じゃないんですよね。

さらに彫刻に関して言えば、僕自身苦手意識も未だにありますし。

ーー 作品を出し続けている今もですか?

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 はい。

予備校の時からそうだったんですが、奥行きの感覚があまり豊かではなくて。

一生懸命勉強しながら覚えていった感じですね。

ーー ただ作品を拝見すると、精密さがとても際立つ作品が多い気がするのですが。

 僕には作品を「ささっ」と描けるような能力がないというか…。

僕自身、作品を作るときには、物事を知りたいからやっているという部分が大きいんですよね。

例えば、経験がある人もいらっしゃると思うのですが、子供の頃に、自分が持っている「おもちゃ」の仕組みがどうなっているのか知りたくて分解するみたいなことがあるじゃないですか。

それと同じで、僕は彫刻をつくってても、ただ表面だけを綺麗にして終わりというふうにはならなくて、作品の分解と切断が制作中に入り込んでくるんです。

細かいところまで気になってしまうというか。

それは絵を描いている時でも同じで。中学時代にバイクが欲しかったんですが、禁止されていたので買えなかった。

そんな時には、その欲しいバイクの絵を描き尽くせるとこまで描いていたんです。

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一つ一つのパーツを描きながら、

「あっ、これがキャブレターっていうんだ。」

なんて言いながら確かめつつ描いていました。

そうやってものの仕組みを勉強していく癖があるんですよね。

そういう意味では、「彫刻」というメディアは、絵画とは違って、割ったり切ったりできるので、自分には合っているのかなぁと思いますね。

「人」の形をしているんだけど、「人」ではないという視点があるから作ることができる

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展示してあるキャデラックの作品についても、ブリキ製のおもちゃを自ら加工し、さらにモーターをつけラジコンに。

 

ーー 今回の展示名「tetany(テタニー)」についてですが、どのような考えがあって付けられたのでしょうか。

 このタイトルについてはまだモヤモヤしているところがあるんですよ。

実は制作途中からなんとなくこういうモヤモヤした感じになるんじゃないかなぁ、と予測はついていたんです。

というのも、今回の展示に関しては一個のテーマを決めて作品をつくるということはしていなかったんですよね。

今回展示している作品は、それぞれイメージの出処がバラバラでした。自分のなかではかろうじて繋がっているのですが、それを上手く接続できないまま制作が進んで行きました。

そうやってバラバラと作った作品をかき集めて一堂においてみたらどういう見え方になるか、という考えから今回の展示プランはできているので、最後(展示)はどうなるんだろうという不安があったんですよ。

だから今回の「tetany」というタイトルも、すこし無理やりなところもあるんですよね。

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いうなれば、「ヒステリー」に近いタイトルをつけたいな、と考えてはいました。

ヒステリー状態というのは、普段の生活からは逸脱したイメージがあったので、今回の展示空間をそういう風に説明できそうな気もしたんですが、やっぱり、なんかしっくりこずにモヤモヤしていたんですよね。

それである時、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの著書の中に、「tetany」という言葉がでてきたんです。

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意味は、「ヒステリー」をおこした人間が感情の高ぶりによって手などの体の一部が痙攣状態になることらしいんですが、そっちの方が近い気がしたんですよ。

http://stevenstraub.com/a1s-singles-in-lima

展示を見ていただければわかると思うんですが、作品自体にそれをイメージさせるようなところもありますし、まぁ、なんとかギリギリ作品同士を繋ぎとめる言葉としてつけたようなところもあるんです。

あとは、僕自身が最近の日本に対して感じたことが「tetany」に近いものがあったというか。

「tetany」は日本語で「強直」と訳されることがあるのですが、病名として使われるだけではなくて強張るという意味の「硬直」に近いものがあると思うんです。

僕らが生きている戦後の日本というものは、一見、誰もが自由を謳歌しているように見えると思うんですが、実際のところ果たしてそうなのかと考える時があるんです。

特にあの2011年の東日本大震災以降は、その「自由」に対する考え方が変わってきたというか。

一見、「自由」に見えるようで実は全然そんなことはなかったという。

日本に生きる「個人」の自由に対して結局はずっと「硬直」したままだったということを気付かされたのも大きいですし。そういう所から名づけました。

ーー 今回の展示はいつもの抽象的なモチーフと比べて、「人体」という随分具体的なものを題材にされていますが、なぜ今回はこのようなモチーフを選ばれたのでしょうか。

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「人体」をモチーフとした作品は学生時代に作っていたんですが、作品として扱いが難しいというか。

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僕にとって「人体」をモチーフにして現代美術の世界で何かを発言していくことは無理だと大学院生の時に感じたんですね。

ただ、「人体」作品自体は嫌いではなかったので、それで何かできないかをずっと考えていたんですよ。それこそ20年以上です。

周りには、船越桂さんや棚田 康司さんのようにアートシーンのど真ん中を歩いていらっしゃる方もいますし。

ただ僕には彼らのようなプランがなかなか出てこなかったんですよね。

少しずつなにが可能かということを考えてきたような感じでした。

今回にしてもとっかかりは、「バルテュスの作品」と「ポンペイの人型」が頭の中にあったんですが、両方とも他の人がすでにモチーフにしていたり、テーマになりづらいと考えていたので、最初は傍に置いておいたんですね。

それで、もう一つ出てきたのが、僕が好きな「MAD MEN」とうアメリカの広告代理店をモチーフにしたドラマがありまして、その中に出てくる「サリー」という小さい少女、それが「バルテュス」の作品に出てくる少女に本当にそっくりなんですよ。

そういうものとさらにユベルマンの「徴候」という考え方が混ざり合ってきた時に、

これはできるぞ。というイメージが出てきたんですよね。

ただ、やっぱりまだわからない部分が多いんですよね。「人」については。

僕は、「人」がモチーフになると本当に手が動かなくなるタイプで、作っているものをいかに「人」ではないと思い込むかが結構重要なんですよね。

以前作った「trinity」という作品も、一見、人型をしていて一向に制作が進まなかった時があったんですが、

ある時ふと、

「これ人じゃないじゃん。」

と感じた瞬間、そこからはドバーッと制作が進められたことがあったり。

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今回の作品についても、ユベルマンの「徴候」という考え方が入ってきてから制作がスムーズになったんです。

だから僕は、そういう理由付けがはっきりしているとすごくうまく進められるタイプなんですよね。

言ってみれば「人」の形はしているんだけど、「人」ではないという視点があるから作ることができる。

ただ単純に「人体表現」をすることにほぼ興味がないんです。

それ以外に何が言えるんだろうと考えてしまうんですよね。

<第一回 終>

協力:Mizuma Art Gallery