”場合によっては、自分の名前が残らなくても自分の作品は残ったりするかもしれない。”

名声や栄誉。
そういうものから完全に解放されたその言葉を刺繍作家・青山悟さんは言ってのける。

「考えた」ものを形にすること。「つくる」という段階で初めて気づく感情やその時に生まれる決断は作り手のオリジナルになりうる。

手を動かすことで技は少しずつ改良され、そして新しいものに生まれ変わる。

「制作行為そのものを大事にしたい。」と語る青山さん。

彼は、作りながら、新しいものを創るという行為を延々と楽しむ求道者のようなアーティストであり、創り続けることを幸せと言うことができる恵まれた才能の持ち主なのかもしれない。

青山 悟

1973 東京生まれ 東京在住
2001 The School of the Art Institute of Chicago, MFA Fiber and Material Study Department
1998 Goldsmiths College, University of London, BA Textiles, Visual Art Department

大量生産の為の道具である工業用ミシンを用い
丹念に縫い上げられた刺繍作品を通して、
現代人の営みとテクノロジーとの関係性を言及し、
また、それによって失われつつある人間の感受性や
創造性についての問題を提起する。

コンセプトも大事。ただ作品制作そのものをもっと大事にした方がいいと思う時がある。

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ーー今回、ボエッティの世界地図の作品をモチーフに蓄光糸という特殊な素材を用いて表現したのはなぜでしょうか。

 

青山 国境を描く上で、その境目が表れたり消えたりするということを表現したかったんです。

ボエッティの時代と同じで、国境の問題は常に変わらずにあるわけで。

ただボエッティと同じアプローチをしてもつまらないと思ったんですよね。

僕は僕の方法でやりたかったんですよ。

国境は人間が引いたものじゃないですか。

国境自体が消えては浮かび、浮かんでは消える。ただそれだけのことなんですが、色んなことを考えることができます。観る人によっては政治的に見えるかもしれないし、また単純に綺麗だなって思うかもしれない。

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アフガニスタンの刺繍家たちの気持ちを、同じ辺境にいる者として考えてみたかったんです。日本も十分、西洋のアートシーンを基準にすると辺境だと思うので。

彼らの決断とはどういうものだったんだろうとか、そういった疑問の答えに作品を制作することで迫りたかったんですよね。

 

ーーまるで宇宙から見る地球の照明の光のようですね。

 

青山 そうですね。

難しいことは置いといて、見てくださる方には、ただ何かを感じ取ってもらえれば嬉しいです。

 

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「作品中心」に自分の活動を考えたい

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ーー青山さんにとって、「アーティスト」とはどのような考え方を持った人だと思いますか。

 

青山 アーティストだからと言って決して綺麗で手の込んだものを作る必要があるとは思わないんですよね。

ですが、コンセプチュアルなアプローチだけで実践が伴っていないものは違う気がするんです

作品制作そのものをもっと大事にした方がいいと思う時がありますね。

決してコンセプチュアルな作品に否定的ということではないんですが、作品作りというのをないがしろにするのも違うというか。

ただ、一方で日本のアートシーンだと「細かい」とか「上手」というような技術信仰的な部分があるのですが、それ自体も手放しで肯定はできません。思考停止に陥る危険があるので。アンチコンセプチュアルな作品を作るにはコンセプチュアルなアプローチが必要だとは思います。

 

ーーその二つの間を行ったり来たりしているような形なんですか。

 

青山 考え抜いた挙句にものとしての作品をきちんと残さなければいけないなと思ったんですよね。

日本のような辺境の地で、自分の作風が西洋の大きいアートヒストリーに乗っているかといえば、そこは十分に疑っていかなければいけないと思うわけで。

そんなことを疑いながらも自分が作った作品そのものは残るわけです。

場合によっては自分の名前が残らなくても自分の作品は残っていくかもしれない。

だからこそ、「作品中心」に自分の活動を考えたいと思ったんですよね。

 

ネットがもたらす流行の加速には距離を置きたい

 

ーー今後、インターネットはアートに対してどのような影響があると思いますか。

 

青山 インターネットの出現は制作に対して、大いに影響があったと思うんですよね。

僕が大学卒業の頃に、自宅にネットがつながったわけですが、そこからは情報の取り方がまったく変わってきたんです。

インターネット以前は気になるアーティストがいたら、図書館に行って作品集を借りるぐらいしか知らないアートについての情報を得る術がなかったと思うのですが、最近はスマホなんかで簡単に自分が知りたいことを検索できるようになって。

 

ただそこに抗うような気持ちは一切ないんです。むしろ好意的に受け取っているんですよ。昔は良かった、みたいな考え方は全然ない。

インターネットですぐに調べることができる軽やかさ、ネットだからこそのアクセスの良さはあると思うんです。

ただ一方で、情報の広まる早さが加速して、簡単に流行を生んでしまうということがあると思います。

昔に比べて、本当にダサいファッションするような人もいなくなったじゃないですか。

街を見ても今はおしゃれな人しかいないと思うんです。

それと同じようにダサい作品を作るような人も減ってきて、今のアートシーンはどこを見てもアートマガジンを見ているような感覚ですよね。

そういう簡単な流行には少し距離を置きたいとは思いますね。それが難しく感じる時もありますが。

 

今アートができていることには幸せを感じる

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ーーそういう流行から距離を置くためにミシンを選んだということもあるんでしょうか。

 

青山 それはあるかもしれませんね。

昔は作業をスピードアップするためのものだったミシンですが、今はその遅さゆえに手放したくないというのはあるかもしれません。

 

ーー最後に青山さんにとってアートとはどのようなものでしょうか。

 

青山 極端な話、必要か必要じゃないかっていったら、必要ではないとやっぱり思うんですよ。

例えば、生活をするのも困難な場所で「アート」が必要かと問われたら、必ずしもそうではないと思います。

でもだからこそアートのような人間的な生活をする上での「余剰な幸せ」があってもいいと思うんです。

だから僕は今アートができていることには幸せを感じます。

 

<第二回 終>
協力:Mizuma Art Gallery