2015/09/02 〜 2015/10/03の会期で天野喜孝展が、東京都市ヶ谷にあるMIZUMA ART GALLERYで開催されています。
この展覧会のテーマは「AURUM」。ラテン語で金という意味を冠したその名前の通りギャラリーに入って飛び込んでくる雅やかな金属色。

ただ、その金は決して工業的な雰囲気はなく、作家の手仕事を感じる温かみのある金に仕上がっているように思えます。

天野さんは今回のインタビューで「第三者の影響を受けない自分の手の届く半径1メートル以内の世界を大事にしたい」ということをおっしゃっていました。
それは天野さんのキャリアでなければ発することのできない「自分らしさ」の構築方法を内包している言葉でした。

タツノコプロ〜ファイナルファンタジー〜様々な小説の挿絵等々、そのようなイメージとはちがう画家「天野喜孝」そのものに触れた今回のインタビュー。ぜひご一読ください。

天野 喜孝 ⁄ AMANO Yoshitaka

1952 静岡市生まれ
2007 映画『ユメ十夜』の第7夜の監督を担当
2001 映画『陰陽師』の衣装デザインを担当
1994 『海神別荘』の舞台美術、衣装デザインを担当
1993 映像作品『天野喜孝 ~華麗なる幻想美の世界~』発売
1992 『楊貴妃』の舞台美術を担当
1987 『ファイナルファンタジー』のキャラクターデザインを担当
1967 アニメーション製作会社タツノコプロダクションに入社
天野嘉孝名義で『タイムボカン』等のアニメのキャラクターデザインを手掛ける

物語性のある漫画やアニメに「憧れ」を抱いていた少年期とタツノコプロとの出会い

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ーー15歳でタツノコプロに入ったということだったのですが、それ以前に絵を描くのが好きになったきっかけがあれば教えていただきたいのですが。
 
天野 兄貴がもともと戦艦とかの絵を描くのが好きで、それを見ているうちに自分も描きたくなったというのはあるかもしれませんね。
その後、自分の周りにもアニメや漫画なんかが出てきて、漫画の描き方を本で調べたりして、描いてみたりするようになっていったんです。
学校の美術の授業で書くような石膏の模写よりは、物語性のある小説の挿絵とか漫画に魅力を感じてましたね。
 
ーーそうやって描いた漫画を友達に見せたりするようなことがあったりとか?
 
天野 いや、他人に見せるということはなかったですね。むしろ漫画に関しては「読む」方が好きで。
美術の「絵画」とは違うポジションである、物語のある漫画やアニメの世界に徐々に「憧れ」を抱くようになっていったという感じですね。
 
そういった時期にたまたま幼友達が東京に引っ越して、そこに遊びに行った時、友達の家のすぐ近くに「タツノコプロ」のスタジオがあったんです。
 
当時、アニメーションと言ったら、僕らの間では「最先端」という位置付けでしたから、「面白そうだなぁ。」と思って自分の描いた絵をもって友達と見学にいったんです。
そこで、たまたま持っていった絵を見せたら、後日、家に「採用通知」が届いていたんですよ。
 
ーーまさしく縁があったんですね。
ただ15歳で天野さんを採用したというのは、タツノコプロは相当見る目があったんでしょうね。
天野 あの時はちょうどアニメーション業界全体が「イケイケ」な時だったと思うんですよ。新しい何かを生み出そうという気概があったんですよね。
なので、時期がずれていたらどうなっていたかわからない。
僕が入れたのもタイミングが良かったということでしょうね。
 
描くことが好きでなければ行ってなかったとは思うので、本当に運がよかったですね。
 
あとは、物心つくくらいには描くことが好きだったんじゃないかなぁ。
僕の歳の離れた兄貴が、仕事で余った大きな模造紙なんかを持って帰ってきた時には、その紙の上で一心不乱に落書きをしていたそうなんです。
 
もともと体が強くなくて子供の頃は寝込みがちだったんですが、絵を描いている時だけは生き生きとしていたらしくて。
あとは、実家が「蒔絵」を描く様な仕事もしているし、自分の周りに絵を描く環境があったのかもしれません。

第三者の手を介さない自分の原画での勝負をしたくなった

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ーー アーティストとして活動し始めようとおもった動機はなんでしょうか。
 
天野 僕の作品というのは今までは、「提供」する側だったんですよね。
アニメにせよ、ゲームのイメージにせよ、装丁にせよ、描いた絵は第三者の手を介して世の中に公開されていたんですよね。
デフォルメされたり、印刷されたり、ゲームにしたり。
 
要するに作品の「使用権」だけを契約として売っているだけで、実はそのあと作品そのものは僕の手元に残るんです。
なので、僕にとってアートでやるというのは、他のメディアを作るための「手段」ではなくて、作品そのもので「勝負」することなのではないかと思うんです。
 
具体的にいうと、色一つとっても、僕の作品を印刷媒体に載せてしまうと、僕の描いた色を刷り直すという結果になってしまうのですが、それが原画でできるとなると世界で一つだけの色で勝負できるようになるわけです。そうなってくると作品につぎ込む意識も変わってきますよね。
 
他の方の手を介さずにオリジナル原画のみで勝負できるということが僕の中では「アート」なのかもしれないです。

自分の中にあるイメージと、実物とのズレが作品の個性につながる

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ーー天野さんは、今まで様々なモチーフやキャラクターを生み出していますが、今まで一番難しかったと感じるものはありますか?
 
天野 難しかったと感じたことはないですね。
絵の元になるストーリーになるものを読んで、どうやったらこれを形にできるだろうと想像している時はむしろ楽しい時で。
そういう意味では難しいと感じたことはないですね。
そんな感じなので、同じようなものをたくさん作らされている時は辛いですね。
 
ーー同じようなものというと、どんなモチーフですか。
 
天野 例えば、アニメーション制作をしていた時に、そのアニメに登場する「普通の人」のようなモチーフをたくさん考えなければいけなかったんですよ。
個性的ではない普通のキャラクターですね。
そういう個性的ではない普通のモチーフを考えるというのが僕にとっては一番苦痛でしたね。
 
ーー 何かを見て描くということはしないんですね。
 
天野 そうですね。例えば実際にいる役者みたいな人を参考に模写をしてしまうとその人自身になってしまうんですよ。キャラクター作りにはならない。
 
なんとなく影響を受けるということはいいんですよね。
ただ、自分の中にあるボヤ〜っとしたイメージから作るのが好きで。
「サラリーマンだったら、電車で通勤するだろう」とか。そういう自分の中のボヤ〜っとしたイメージを形にしていくと現実とズレが出てくると思うんです。
そのズレにキャラクターの個性が出てくると思うんですよね。
 
ーー ふわっとしたイメージを、ふわっとしたまま形にしあげていくような。
 
天野 そうなんです。情報が多すぎない方がいいんですよ。
それが作り手の自分らしさを出せるいうところでもあると思うんですよね。
※参照情報
天野喜孝展「AURUM」
会期:2015/09/02 - 2015/10/03
場所:ミヅマアートギャラリー
入場無料
<第一回 終>