「画を鑑賞する。」

という事を初めて知ったのは、昔アニメでみた「フランダースの犬」の最終回のシーンからでした。
あの時はなんでそこまでしてみたいのか...さっぱりわからなかったのですが、ここ最近やっとその理由について自分なりの答えが出せました。

一言で言うなれば、「居心地の良さ」です。


最近お邪魔させて頂いた「府中市美術館」に入った瞬間に感じた頭を突き抜ける開放感は本当に心地よく感じました。

身体は建物の「中」にいるのに、心は高い高い天井に吸い込まれるように頭の先から、

「スポンッ」

と魂が抜けて、自分がなにか違う世界にいるのでは、という感覚に襲われます。

また館内の空気のほどよい緊張感。
午前中の早い時間という事もあったのかもしれませんが、お客様の入りは混みすぎず少なすぎず。

画を観る方々の足音が、

「カツカツ」
「ぱた、ぱた、ぱた」
「こつん....こつん....こつん」

と色々なリズムを刻んで、館内に心地の良いリズムを奏でます。


それに加えて、照明の絶妙な明るさ。
今回取材させて頂いた「O JUN 描く児展」で感じたのは、自然光が画の片隅に居るという事です。

身の丈の三倍はありそうな大きな油画の面の凹凸に、自然光の柔らかい光が上手く乗っている。

そのせいか、人間の手によって作ったであろう画に、人間らしさを感じないその色が際立って、

「あぁ…。この青はいい。」

となっていた訳です。
(実はその青について、僕は履き込んだジーパンのような味のある青ですね。と、OJUNさん本人の前で言ってしまったのですが…。)


逆を言ってしまえば、いくら良い展示でも落ち着いてみれないとそれはそれでとても不幸な気がします。

だいぶ前になりますが、東京国立博物館で行われていた「国宝 阿修羅展」に行った時の事。
展示自体は兎にも角にも、大盛況。

入館するまでに、小一時間は待ち、いざ入ってもなかなか前に進めない。
最後にやっと「阿修羅様」の御本願を拝めるとなった時も後ろから押され、手のひら一つ合わせるのが精一杯。

もはや「ありがたや」のバーゲンセールのような様相であったのを覚えています。


画を見るという事は、「目」で見るという事ももちろんあるでしょうが、僕はそれと同じくらい「肌」で感じるというような所もあるのではと思います。

自分の気持ちがすーっと入っていける「温度」「明るさ」「歩幅」「環境音」。
そういった物が自分の中でぐっと充実してこそ、初めて「観る」ことが出来るのでは、と思うのです。

最初の写真は、ルーベンスの「キリスト昇架」という作品。
ネロとパトラッシュが、極寒の中、命を賭けて大聖堂にこのルーベンスを見に行った理由。

いわれのない冤罪によりろくに食事も出来なかったネロの心の中には、

「死ぬ前にその画を自分の目で観たい。」

という他に、

「だれにも邪魔されない環境で、画を独り占めしたい!!」

という、彼の中の究極の至福の居心地を求めた結果だったような気がするのですが、深読みし過ぎですかね。

oasis_sk

『ARTYOURS』のウェブ担当。
現在は、制作会社のデザイン課長。


大学ではスケボーをしながら表千家茶の湯同好会に所属。さらに学芸員の資格を取得するというやりたい事はとりあえずやってみる主義。

年始に遊びにいったカミさんの家で良いムコを演じきってほっとしています。