と、いうような題名をつけると、「いかにも食通...」というような雰囲気がありますが、僕は舌も暮らしもいたって庶民です。


「人の記憶に残る」という意味では、いろんな所で言われているように料理も芸術も変わりないかと思います。



以前、拝見した銀座の鮨職人のドキュメンタリー映画「二郎は鮨の夢を見る」の作中で、当時85歳現役(現在は88歳でまだ現役!)の職人である小野二郎さんが言うには、


「最高にウマい!と思わせるものを作れる人間って言うのは、お客様が知っている物よりウマい物を食った記憶が無いとダメですよ。」


と、経験ありきの美味さを語っていました。


もちろんそれはある。あるし、僕もそんな事言ってみたい。


でも、僕は庶民ですから。
財力もコネも無いし、なかなかそういう美味しい思いは出来ていない訳です。
そういう、スバラシイ経験は、この先の人生にとっておくとして…。


こんな僕でも今までの人生の中で、ウマいものを食った!という感覚が無い訳ではない(と思います)。


「昨日の晩ご飯何食べた?」


と急に聞かれて、なんだっけ?となってしまうのは、あまり記憶に残るような食事をしていなかった証拠。




わかりやすく記憶に残りやすい物って、口に入れなくても想像できるという事が大事ではないかと。


例えば、「カレー」。


「カレー」って文字だけで、貴方も今、鼻の奥の方にうっすら匂いの気配を感じたはず。


それくらい「カレー」の匂いの記憶は強く残る。好き嫌いの度合いはありますが、「美味しい」経験をその匂いの先にした事がある人が多い。


後は、見た目も重要。


例えば、「泡のバランスの良いビール」。
口に含んだ瞬間から、のどを通った後の「プッハー!」までを想像させるその佇まい。
夏の暑い日の仕事帰りに、ちょっと霜がかったジョッキで出されたらタマンナイですよね。


これが、「泡の無いビール」になると、急にイジけた飲み物になってしまう。
とくにピッチャーなんかで出てくると、「あぁ...しょうがないからのむか...」と、急に呑みたくない気持ちにすらなる。
僕は、こういうビールを「死んだビール」と命名しています。


意外な所で、僕が全幅の信頼を置いている優秀な食べる視覚芸術は、「ブルボン」の袋菓子シリーズ。
よーく見ると、値段に相応しくない気品が伴っています。
そう、例えるならば、灰をかぶっているシンデレラの様な。


実力は備わっているのに、境遇のおかげでどうも下に見られてしまうのですが、安っぽいパッケージを脱ぐと、その正体はまさしく本物。


例えば、「ルマンド」。


薄い衣を何枚にも重ねたクレープ生地に、薄紫のココアクリーム。
歯触りも軽やかに、口溶けは夢のよう。食後の口内に残る余韻は長く、うっとりと目を閉じてしまいたくなります。


そして、さらに極めつけは「アルフォート」。


これは、まさに食べる芸術そのものといっても過言ではありません。
袋から取り出したその絶妙な厚みのビスケット生地の上には、中世スペインの大航海時代を彷彿とさせるような見事な帆掛け船のモチーフが描かれたチョコレート。

100円そこそこのお菓子に対して、


「この装飾は何事だ!」


と子供の頃はその驚きの大きさにしばらく見入ってしまい、食べるまでにだいぶ時間がかかった記憶があります。

そして、そのチョコレートとダイジェスティブ生地の配分のバランス。
コレが実にスバラシイ具合で、1+1は「100」になるような、口の中でショコラと小麦の絶妙で滑らかなマリアージュを体感出来るのです。


そして、ブルボンのお菓子に共通して言えるのが、「儚さと脆さ」。


ポケットの中にそのお菓子達を入れよう物なら、
「ルマンド」の体は粉砕し、「アルフォート」の世界はメルトダウン。
何かを大事にするという事を、僕はブルボンから子供の時に始めて教わった気がします。



ついでに言うならば、今週末はバレンタインデー。
意中の相手にどれだけ強く、美味しい記憶を残すことができるかによって、恋愛の是非が問われるといっても過言ではありません。

そう考えると女性はイベントをつくって記憶に残るような事をするのが好きですね。

”日々是、芸術”なのかもしれません。

oasis_sk

『ARTYOURS』のウェブ担当。
現在は、制作会社のデザイン課長。


大学ではスケボーをしながら表千家茶の湯同好会に所属。さらに学芸員の資格を取得するというやりたい事はとりあえずやってみる主義。

LAMYのsafariという「万年筆」を最近使い始めたのですが、「書く」楽しみという物は書き心地に大きく関わってくるのだなぁ。と深く関心しております。